浜頓別という人口4000人の小さな町から始まった挑戦は、やがて稚内、名寄、そして道北全域へと広がっていきました。
今回は、メナード白鳥公園株式会社の大島信子販社長が、仲間を独立したサロンオーナーへと育てながら組織を広げていった“地方展開時代”と、過酷な移動の末に札幌進出を決意した理由について語ります。
稚内に5店舗、10店舗。最初から描いていたビジョン
浜頓別は人口4000人ほどの町です。ここで活動を続けるだけでは、お客様の数にどうしても限りがあります。「次はお客様を作るために、一番近い市である稚内にサロンを作ろう」。そう目標を定めました。
稚内には、最初から「5店舗、10店舗を出す」というビジョンを描いていました。そしてそれを、自分一人で抱え込むのではなく、一緒に活動する仲間にもはっきりと伝えていきました。
私が目指したのは、自分の下で働いてもらうことではありません。一人ひとりが独立し、自分のサロンを持てるように育てること。みんながやる気を持ってくれたおかげで、どんどん独立して出店していくことができました。
名寄へ。「お店をやる人」を育てる訪問のステップ
次に目標としたのは、さらに大きな市である名寄でした。ただし、ここでも私が自分でお店をやるわけではありません。「お店をやってくれる人」を探すところから始めました。
まずはチラシを配り、訪問します。2回目はサンプルを持っていき、3回目には実際にエステをしてさしあげます。そのときに、こう伝えるのです。「次に来るときは、あなたがこれを覚えるんだよ。エステをしてあげたいお友達を、誘ってみてね」と。
次の訪問では、その方が誘ってくれたお友達に私がエステをして、化粧品を買っていただきます。その様子を、ご本人にすぐ横で見ていてもらうのです。
そして、そのときの販売の利益とエステの施術料を、「これはあなたの収入だよ」とプレゼントします。自分の手で人を喜ばせ、収入にもつながる——その実感が、何よりのモチベーションになりました。
次回からは、ご本人が自分でお客様にエステをするように伝えていきます。私がいなくても回るように育てる。この積み重ねで、名寄グループはとても大きな組織へと成長していきました。
豊富、猿払へも。任せたからこそ広がった組織
名寄が大きくなると、その流れは豊富や猿払といった小さな街にも広がっていきました。それぞれの街で、私が自分でお客様を作るのではなく、みんなに任せてきたこと。これが、結果的に大きな力になりました。
自分が一人で抱えていたら、これほど多くのサロンは生まれなかったと思います。任せて、育てて、独立してもらう。そうやって、私がいなくても機能するサロンが、いくつもできていきました。
片道4時間、5年で20万km。それでも札幌を目指した理由
ただ、道北の冬の移動は、本当に過酷でした。片道4時間かかることもあり、吹雪の中での運転は苦しく、体調を崩すことも多くなっていきました。5年間で車の走行距離は20万kmを超え、毎日のように長距離を運転している状態でした。
命がけで何時間もかけて向かったのに、相手の都合で会えないこともあります。そんなとき、ふと思うようになりました。「私の仕事は、運転手ではなく、人に会うことだ。人に会うためにあちこち行くくらいなら、いっそ人のいるところに行きたい」と。
私には「販社長になる」という絶対の目標がありました。その目標のために、より多くの仲間と出会える札幌へ本拠地を移すことを決めたのです。
札幌に出ても、田舎でサロンオーナーはできる
それぞれの街で自分でお客様を作らず、みんなに任せてきたおかげで、私がいなくても機能するサロンがたくさんできていました。だからこそ、安心して札幌へ出ることができたのです。
私が札幌に出たからといって、「田舎ではダメだ」ということでは決してありません。サロンオーナーは、どこでもできます。私はスピードアップのために都会に出ただけで、自分のペースで田舎でサロンオーナーをすることも、まったく可能です。
札幌以外にお住まいの方でも、ご連絡をいただければ、Zoomなどのオンラインで私の知識やノウハウをすべてお伝えします。どこにいても、夢を仕事にする一歩は踏み出せます。