道北全域に仲間とサロンを広げた大島信子販社長が、38歳で選んだ次の舞台は、拠点もお客様もない札幌でした。
今回は、ゼロからの再スタート、琴似での集客の試行錯誤、そして個人事業主でありながら理想の社屋を建てるまでの歩みと、組織を伸ばすために大切にしてきた“環境整備”の考え方を語ります。
38歳、子どもの進学に合わせて札幌へ
38歳のとき、下の子の中学進学に合わせて、札幌への進出を決意しました。引っ越したのは、札幌の中心部である札幌駅近くの新築マンションです。
けれど札幌には、メナードの拠点がありませんでした。お客様もゼロ。まさに、何もないところからのスタートです。道北の店舗からの利益があったので生活の心配はありませんでしたが、私が札幌に出た目的は、あくまで「販社長になること」。売上を3倍にするために、あえてゼロスタートを切ったのです。
親店サロンを借りて。田舎との“ギャップ”
最初は、親店のサロンをお借りして活動を始めました。ただ、自分が活動しやすいように、まずはサロンの掃除や片付けといった環境整備から始めなければなりませんでした。
知人や、以前からのお客様をお呼びしてエステを再開しました。けれど、田舎とは勝手が違います。駐車場がないこと、人がすぐには集まれないこと——。都会特有の不便さに、何度も悩まされました。
琴似でゼロスタート。30キープへの集客
4ヶ月ほど親店サロンを使ったのち、いよいよ自分自身のサロンを持つことを決意し、琴似にサロンを出しました。
もう一度、初心に帰ろう。私は一人のセラピストとして「30キープ」を目標に掲げ、集客に奔走しました。チラシ配り、路上でのティッシュ配り、大型商業施設でのイベント——。考えつく限り、さまざまな方法を試しました。
それでも、都会は甘くありませんでした。予約特典をお渡ししても来店されない、いわば“特典だけ受け取って来ない”方も多く、都会の厳しさに揉まれました。そこで、予約特典ではなく「来店特典」に変えるなど、工夫を重ねていきました。試行錯誤の末、見事に30キープを達成することができました。
なお、この間も道北の店舗回りは続けていました。移動距離は、むしろさらに増えていたのです。
自宅とサロンを兼ねた社屋を建てる決断
琴似のマンションは、自宅兼事務所として使っていました。けれど、冬の移動の不便さや、大口の荷物を発送する作業のしにくさから、少しずつ不満を感じるようになっていきました。
そこで、自宅とサロンを兼ねられる広い物件を探しました。ところが、予算に合うものが見つかりません。そんなとき、幼馴染が勤める住宅メーカーの勧めもあり、思い切って「家を建てる」ことを決意したのです。
長年、着実に確定申告を続けてきたことや、これまでの実績が評価され、個人事業主——女手一つでありながら、融資を受けることができました。選んだのは、都会の真ん中ではなく、車が停めやすく高い建物の少ない札幌の端、琴似の延長線上にある土地でした。
35年ローン、理想の社屋完成。そしてこれから
41歳のとき、35年ローンを組み、琴似から引っ越して、自宅兼サロンとなる理想の社屋を完成させました。結果的に、それまで払っていた家賃よりも安く済んだのです。
札幌に来てからは、サロン作りもどんどんグレードアップしていきました。家具はスイートデコレーションやニトリ、木材や工具などのDIY用品はDCM(旧ホーマック)、壁紙などはビバホームを活用しています。もちろん、100円ショップも使います。使えるものを上手に組み合わせれば、環境は十分に整えられます。
この一連の経験から、私は「組織を伸ばすためには、活動の場となる“環境整備”が何より大切だ」と強く感じています。社屋は、私が販社長になるための施設としての役割を、十分に果たしてくれました。
その役割を終えた今、次に見据えているのは、札幌中心部・大通公園周辺のテナントに新しいサロンを出すことです。これからも、若い世代に向けて、さらなる挑戦を続けていきます。