「北海道ナンバーワンサロンを作りたい」。その目標の原点には、全国大会で味わった悔しさと、家賃3万円の小さなアパートから始まった挑戦がありました。
今回は、メナード白鳥公園株式会社の大島信子販社長が、メナードを仕事にするまでのきっかけ、A級店を目指すようになった理由、そして仲間と一緒に走り抜けた“山田アパート時代”について語ります。
メナードを始めたきっかけ
私は、稚内から海岸線を100kmほど南に下った浜頓別という小さな町で暮らしていました。人口は約4000人。札幌までは車で4〜5時間かかるような場所です。
母がメナードのセールスレディをしていたので、小さい頃から化粧品を扱う環境は身近にありました。ただ、当時の私は「自分もこの仕事をやりたい」とはまったく思っていませんでした。
きっかけは、下の子を妊娠していた頃です。母の親店の販社長が家に来て、母のお客様にスチームを当てながらエステをしているのを見ました。化粧品を販売する仕事しか知らなかった私にとって、「エステ」は少し新鮮でした。
そのときに「のぶもやってみる?」と声をかけられ、スチームを浴びながら軽くお手入れをしてもらったことが、最初の入口でした。「子どもを産んだら、この技術を教えてほしい」。そこから、私のメナードの仕事が始まりました。
全国大会で味わった悔しさ
それから5年ほど経ち、30歳の頃に初めてメナードの全国大会へ行くことになりました。当時はC級店に上がった頃だったと思います。
正直、最初は絶対に行きたくありませんでした。小さな子ども2人を置いて家を空けることにも抵抗があり、泣きながら全国大会へ向かったのを覚えています。
会場では、多くの方が表彰されていました。一方で私は自由席に座り、「今日は手を叩くのがあなたの仕事よ」と言われました。
どうすれば表彰される立場になれるのかも知らないまま、ただ拍手をする側にいる。その悔しさはとても大きく、帰り道では涙が止まりませんでした。
でも、その経験が私のスイッチになりました。「まずはA級店になる」。そこから本気で目標を持つようになりました。
家族を説得して通ったスクール
A級店を目指すために、まずはセラピストスクールへ通うことになりました。
当時、浜頓別から札幌のスクールに出るには、丸4日間ほど家を空ける必要がありました。小さな子どもを残して行くことは簡単ではありません。家族を説得し、仲間2人と一緒にスクールへ向かいました。
今振り返っても、あの頃は本当に必死でした。家庭のこと、移動のこと、仕事のこと。すべてを抱えながら、それでも「やる」と決めて進んでいました。
山田アパートで始まった小さなサロン
最初は親店で活動していましたが、通うだけでも大変でした。吹雪の中、江差町まで送迎することもあり、冬の北海道で続けるには相当なエネルギーが必要でした。
そこで、浜頓別で家賃3万円の「山田アパート」という2DKの部屋を借りることにしました。
「ここにお店を出すから、みんなエステしに来てね」。そんなふうに声をかけ、もともといた仲間2人に加えて、さらに4人。合計6人で、2月の初めにサロンをオープンしました。
立派なサロンではありません。みんな長靴で来られるような場所で、2月は水道も凍結します。吹雪の日には、窓の隙間から雪が入ってくるような寒い部屋でした。
でも、そこには熱気がありました。町のお客様を巻き込みながら、「まだ行ってないの?」と言われるくらい、地域の中で少しずつ広がっていきました。
半年でA級店へ
当時は月に200〜300回ほどエステをしていて、予約表は真っ黒でした。私自身も、多い日には1日7人のお客様を担当していました。
決して楽ではありません。かなりのハードワークでした。でも、仲間同士で支え合いながら走っていたので、とても楽しかったのです。
そして、オープンから半年でA級店へ昇格しました。
当時はキープ数のランキングがあり、北海道内でも毎月順位が出ていました。目標は、北海道で1位を取ること。北海道ナンバーワンサロンを作ることでした。
山田アパートという小さな場所から始まった挑戦でしたが、気持ちと行動次第で、環境は言い訳にしなくていいのだと実感しました。
これからメナードを仕事にしたい方へ
寒い、古い、雪が入る。山田アパートは、決して理想的なサロンではありませんでした。
それでも、お客様は来てくださいました。人口4000人の町で、300人のお客様づくりに取り組むことができました。
もし、すました雰囲気で待っているだけだったら、きっとお客様は来なかったと思います。地域の方に声をかけ、フレンドリーに関わり、仲間と一緒に動いたからこそ広がっていきました。
メナードを仕事として頑張っていきたいなら、ひとりで抱え込むよりも、仲間と組織を作ってA級店を目指す方が、やりがいも大きくなります。心が折れにくくなり、仕事としての手応えも、心の余裕も変わっていきます。
私は、A級店を目指す人をもっと増やしたいと思っています。夢を仕事に、思いを形にする。そのステップを、一緒に進んでいける人を増やしていくことが、今の私のミッションです。